僕は「使いこなされたモノ」にとても惹かれます。
例えば
写真の長靴です。
長く降り続いた大雨が上がり、
よく晴れた青空が広がるその翌日に見た
干してあった長靴です。
誰のものなのか分からないその長靴は、
恐らく持ち主であろう人の家の軒先に
前日までの大雨という大仕事の疲れを癒しながら、
一人静かにひなたぼっこをしているかのようでした。
一カ所穴があいてしまったのか、
自転車のパンクを直すキットできれいに修繕されたその箇所は
とても誇らしく見えました。
なんだかそれは長靴が「モノ」として使われることを
まっとうしている姿のようにも見え、
また持ち主は愛着がありながらも「モノ」を道具として使いこみ、
「モノ」とはけっして馴れ合った付き合いではないことを
示してるかのようでした。
それは使う側の「人」も
使われる側の「モノ」もどちらかが媚ている訳でなく
自立した関係で成り立っているようにも思えました。
だからもしかすると「使いこなす」とは
人がモノを使いこなすのではなく
モノが人を使いこなすのでもない。
たがいに近すぎず遠すぎない関係があって
成り立つのかなぁと思い始めてきました。
